「日本の現代アートシーンは、正面に西欧のアートミラーがあり、背後に千年の伝統ミラーを見据える合わせ鏡の只中にある。」
ミラーニューロンは、猿が他の個体の行動を見て、自身が同じ行動を取ったかのような反応をすることから発見された神経細胞であり、人間が他者の行動を理解し共感する能力も、この鏡のような模倣行動により獲得されたものだと言われている。自然を模倣する。見立て、なぞらえる。シミュレーションとも言い換えられるこの模倣行動は、芸術において根源的なものと言える。そうした包括的、歴史的な視座から日本の現代アートを読み解く展覧会。52作家、約140点を展示した。
ミラーニューロンとシミュレーション
高橋龍太郎
ミラーニューロンはイタリア、パルマ大学のジャコーモ・リッツオラッティ等によって、1996 年に発見された。実験者が食物を拾い上げたときに、それを見ていただけのマカクザルが、自分で食物を取る時と同じ部位の神経細胞を活性化させていたのだった。他の個体の行動を見て、自身が同じ行動を取ったかのように鏡そっくりの反応をすることから、この細胞はミラーニューロンと名付けられた。(註1)
人間は、脳の部位に直接電極を刺す実験ができないが、fMRI(機能的共鳴画像)やTMS(経頭蓋磁気刺激法)などの使用により、人間にもこのミラーニューロンの存在が強く示唆されている。このミラーニューロンによってもたらされる模倣行動によって、人間は他者の行動を理解し共感する。人間の言語もこのミラーニューロンを基に組み立てられた模倣行動によって獲得されたものと言われている。
しかし人間による最大の模倣は自然への模倣だろう。人間は自然を模倣することで科学を手に入れる。科学は後世しだいにその形を明らかにしていくが、古代ギリシャではむしろ芸術がその役割を担っていた。
プラトンは、イデアを自然が模倣し、芸術が自然を模倣するとし、芸術は模倣の模倣に過ぎないと一段低く見た。しかしアリストテレスは、芸術が自然を模倣すること自体を高く評価し、模倣(ミメーシス)を人間の本質と評価した。
古代ギリシャでは、神々の彫刻は人間の理想化された肉体として表現された。ギリシャを征服したローマ帝国は、大量の彫像を持ち去り、コピーした。その後画題はキリストとマリアに移るが、多くはイコン化する位、ほぼ同じパターンの再作成を繰り返して行くことになる。同じような主題で形態もあまり差のない模倣行動が長い間続いたのだ。西欧の美術の歴史でも創造性や個性が多く問題になってくるのは、ルネサンス以降、いや近代以降と言ってもいいだろう。
日本でもこの模倣行動が広く行われてきている。浮世絵作家鈴木春信の《見立佐野の渡》には、町娘が振り袖で雪を避けながら橋を渡る様子が描かれている。これは
「駒とめて袖うちはらうかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」(藤原定家、新古今集)
という歌の「見立て」となる。(註2) 藤原定家が袖をかざしながら川を渡る構図を町娘に見立てているからだ。ただし定家の側から見ると町娘に置き換わっているから「やつし」とも言える。「見立て」と「やつし」は近年議論を呼んでいるため(註3)これ以上の深入りを避けるが、この歌は定家による「本歌取り」の歌としても名高い。「苦しくも降り来る雨か神(みわ)が崎佐野のわたりに家もあらなくに」(長忌寸奧麻呂、万葉集)
本歌は万葉集にある。佐野のわたりで雨に降られて雨宿りする家もなく困っているよ、という歌であるが、「幽玄様」の提唱者定家らしい、佐野のわたりの雪中の深い孤立が伝わる歌に生まれ変わっている。「本歌取り」、「見立て」、「やつし」が次々に同じ主題をめぐって表現領域を越えて展開して行く。これが日本文化の模倣のダイナミズムだと言ってよいだろう。
風神雷神を一対で扱う仏教美術は敦煌の壁画でも見られており、風袋を抱えた風神と太鼓を輪形に並べて背にする雷神が描かれている。日本では鎌倉時代に三十三間堂の木造の風神像雷神像が造られた。
この風神雷神木像や北野天神縁起絵巻から主題を借りたのが、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」。宗達はもともと赤で描かれた雷神を白に、青い風神を緑に変えたり、両神を画面の端に配するなど作画上の工夫をした。これは17世紀前半の作だが、その100年後尾形光琳によって模写される。
光琳の作品は、模写と言えど風神雷神が画面内側に入り込んでいて安定した構図になっていて、両神の表情もどこか愛嬌を感じさせるように変わっている。見事な「うつし」だ。そしてその100年後、今度は酒井抱一によって模写される。しかも光琳の風神雷神図屏風の裏に、「夏秋草図屏風」を描き添えることで、その敬意を表した。
風神雷神図をめぐるこの合わせ鏡のように映し込んでいく構造は、これも又、和歌と同じような日本の美術における大きな特徴と言える。宗達の作品は国宝であり、「うつし」である光琳の作品は重要文化財である。原作品がありながら、模倣を重要文化財に指定することが、この国の文化の有様の象徴的行為のようにうつる。
8世紀初めに編纂された古事記は日本には文字がなかったため変体漢文として書かれており、万葉集も万葉仮名と言われ漢字が表音表意文字として使われた。ところが平安時代になると、万葉仮名を極端に草書化して平仮名ができあがる。それ以前には漢字の一部を使って片仮名が用いられていた。これは日本の文化史上最大の「くずし」と言っていいかもしれない。
「見立て」「やつし」「本歌取り」「うつし」「くずし」これらは日本文化の模倣行動の典型である。それを全部まとめてここで「なぞらえ」という言葉に置き換えてみようと思う。「なぞらえ」にはこれらの言葉がすべて入り込んでいて、しかもどこか儚なさを含んでいる感があり日本文化を見事に表現しているように思えるからだ。なにより英訳にシミュレーション(simulation)と言葉をあてられるのがよい。
模倣行動というと英訳がコピー(copy)とかイミテーション(imitation)という言葉になるが、私が意味している内容はシミュレーション(別のシステムに置き換えること)という言葉に近い。だとすると日本語として「なぞらえ」はより相応しい言葉に思えるのだ。
私達がミラーニューロンのお陰で、文化圏を越えて美を共有できるかは心許ないし、そもそもミラーニューロンが美を共感するのに働いているかもまだまだ謎なのだが、日本の現代アートシーンは、正面に西欧のアートミラーがあり、背後に千年の伝統ミラーを見据える合わせ鏡の只中にあることは間違いない。
現代の日本の作家についても同じ「なぞらえ」を見出すことが出来る。会田誠の《美しい旗(戦争画RETURNS)》は「風神雷神図」であるし、《紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)(戦争画RETURNS)》は「洛中洛外図」である。(註4) 村上隆の《ポリリズム 赤》は田宮模型のアメリカ歩兵を集め、《ルイ・ヴィトンのお花畑》はルイ・ヴィトンのモノグラムラインの援用になっている。森村泰昌は西洋絵画を肉体化し、山口晃は大和絵を現代化し、青山悟は現代絵画を刺繍化した。小沢剛は当時の先鋭的な画廊を牛乳箱化し、岡田謙三は抽象表現主義を幽玄化し、西尾康之はセイラ・マスを巨大陰刻化した。
これらの作品をシミュレーショニズム(註5)の文脈で語ることは容易だろうが、千年の「なぞらえ」で考察するほうがより深い洞察をもたらす筈だ。
私達の国はアジア大陸の東の端に位置し、辺境の国である。私達には確かに大きな物語を作る能力は欠けているかもしれないが(註6)それを失うことによって保持し続けるものもあるのではないか。
辺境の国では、そこに来たものがゆっくり時間をかけて発酵し、選ばれたものだけが残存していくことになる。文化は模倣され、洗練され、検証されて残るべきものが残っていくことになる。「なぞらえ」(シミュレーション)とはそのことの謂いに過ぎない。
今漢字の純粋な形は、本家の中国より日本に存在している。それは辺縁こそ純粋な物が残存すると言う文化論でよく言われていることだが、アートについてはどうだろう。
「具体」は「アンフォルメル」を更に肉体化させて行動化させた。戦後の荒廃のなかで失うものがなかったアーチスト達にはそれこそが武器だった。
「もの派」は「ミニマリズム」に禅の持っている精神性を附与した。「シミュレーショニズム」には私達は何を用意しているのだろうか。それは漫画・アニメを始めとする世界一のサブカルチャーだろう。そのサブカルチャーをアートのなかで「なぞらえ」きった時、それが新しい芸術的潮流として名付けられることになる。私としては「ネオテニー派」という名付けこそふさわしいと冗談も言いたくなるが、今回ここに展示している作品には、このような背景があってのことだと理解して頂けると幸いである。
世界中のあまねく美がこの辺境に押し寄せてくる現在、私達は千年の美意識のなかに「なぞらえ」、美を最良の形で保存して行こうとしている。私達こそが辺境に住む美の番人であると宣言したら言い過ぎだろうか。(註7)
(註1) ジャコモ・リゾラッティ&コラド・シンガリア『ミラーニューロン』紀伊国屋書店、2009年、p. 96。 (註2) 山田奨治『日本文化の模倣と創造』角川選書、2002 年、p. 56。
(註3) 国文学研究資料館編『「見立て」と「やつし」』八木書店、2008年。
(註4) 内田篤呉監修『光琳ART』角川学芸出版、2015年、pp. 132-134。
(註5) 椹木野衣『増補シミュレーショニズム』ちくま学芸文庫、2001 年、pp. 83-105。
(註6) 内田樹『日本辺境論』新潮選書、2009年。
(註7) 私は、冥界の番犬ケルベロスのつもりなのだが、番犬ポチくらいと草間に笑われそうである。初出:『高橋コレクション展 ミラーニューロン』展覧会カタログ(2015年 株式会社玄光社社発行)
- 会場:
東京オペラシティ アートギャラリー[3Fギャラリー1, 2](〒163-1403 東京都新宿区西新宿 3-20-2)
- 会期:
2015年4月18日(土) – 6月28日(日)
- URL: